フェリスの国際交流研究科の大学院というのはどういう場所であるか

 知識と言えば、すぐになにか専門的な知識が浮かび上がる。それは結局、正しい答えは何かというのがわかっていて、その公式がちゃんと記憶されているかとか、あるいは正しく○×がつけられるかとか、あるいは空欄に正しい答えが入れられるかということ、つまり、そういうなんか条件反射的な単なる量的知識の積み上げだけを教育と考えるような風潮が社会に行き渡ってしまった。その結果、次の時代を担う若者たちに、「君たちはこう生きてほしいんだ」ということを、大人たちが言えなくなっているのではないでしょうか。その問題を考えることこそ教育の根本であるだろう。「知識とは何だろうか」ということを問うとき、私たちのごく当り前の日常生活の中で、私たちが個人の趣味とか感情で判断している領域についてこそ、そこを場として、本当の意味で公共的なもの(パブリックなもの)が立ち現われてくる。教育というものの根本は、私たちの日常の会話の中から基礎づけられていくのではないか。このことに遡って知識について考えてゆかない限り、おそらく日本の立ち直りは難しいんじゃないか。こういうふうに思っております。
 私どもは、そういうつもりで大学院を発足させております。

 Kさん

 

 私は、市役所で働いておりまして、もう十数年働いているんですけれども、ちょうど2 年前、新聞に載りまして、フェリスの大学院が関内にできるということで、その内容が国際交流ということだったんです。私、市役所で働いている間に、市役所のほうから派遣ということで青年海外協力隊に行かせていただきまして、2 年間、インドネシアのほうで活動をさせていただきました。その関係で、これは面白い大学院かも知れないと思ったのです。
 先生方とか職員の方々が一緒に、どういうふうにしていったらいいかというのをお互いに考えてくださるんで、そのへんは、もっとこういうふうにしたらというのをどんどん取り入れていただくという面で、大変よくできた大学院だと思います。初めから決まった、「こういうところですよ」というのではなくて、もっと「こういうふうにしていったらどうですか」というような、中身をこれからつくっていこうという雰囲気があって、そういったところもとてもいいなと思っております。

 Hさん

 社会人教育というのは、イコール職業人教育ではないと思うんですね。もし特定の仕事に直結する資格が欲しいというのであれば、日本語教
師を養成する講座のある学校、予備校とか、私は日本語教師のほかに社会保険労務士なんてどうだろうなと思ったりしたこともあったんで、そのカタログを取り寄せたりとかもしたんですけど、そういうところに行けばいいんじゃないかという道もあるんですけれども、そうではなくて大学院だったというのは、
自分が関心あることをもっと深めていきたいという気持ちのほうが勝っていたのと、高い専門性を持った先生方が、私のやりたいことに対してサポートしてくださるというのが、すごく大学院生のメリットだと思うんですね。
 会社にいたころというのは、上司の人が自分のやりたいことに対してサポートしてくれるということはほとんどあり得ないと思うんですが、大学院では先生方がいろいろ親身になってサポートして下さいます。それがすごく新鮮でした。

 Nさん

  フェリスでよかったとすごく思っているのは、近いですとか、仕事を続けながら勉強できるとか、いろんな条件もいいんですけれども、フェリスの国際交流研究科の先生方が、私たちに伝えたい、教えたいと思っていることと、私が学びたいと思っていることがすごくぴったりしていることがあります。先生がおっしゃっていることに「そうだなあ」と共感できる。自分が学びたいと思っていたことと同じというか、そういう意味ですべて吸収できて、ここを選んでよかったと思っています。アットホームというところも後ほどちょっとお話ししたいと思いますけれども、そういった面でも、私は大学時代は別のところなんですが、大きな大学だったので、そこでは得ることのできなかった先生とのつながり、それから学生さんとの、同じ大学院生の同期とのつながり、それから学部の方とのつながりというのがすごくあって、「ああ、なんて温かい大学なんだろう」って最初思いました。
 私はJICA の青年海外協力隊と並ぶプログラムで、「日系社会青年ボランティア」という中南米の日系社会に仕事しに行くプログラムがあるんですが、それでメキシコで3 年間日本語教師をしていました。国際的な学校で、日本人とかメキシコ人とかいろいろいる訳ですから、まさに国際交流の場なのですが、
なかなか真の国際交流ができない。なんか取ってつけたような、無理やり教室に両方入れてというな感じで、どうしたらいいんだろうとすごく考えていました。自分の中でそういう疑問点をずっと持ったまま帰国しました。帰国後、財団法人川崎市国際交流協会、これは川崎市の100%出資の外郭団体になりますけれども、そこの嘱託職員の仕事が見つかってそこに就職しました。今度は国内の国際交流の現場というところで働くことになったのですが、やはりここでも同じく、国際交流というのは非常に難しいと感じました。ただ外国人と仲良くしたい、仲良くしたい、そればっかりが先行してしまって、外国人を引っ張ってきて無理やりパーティーするとか、そういう実情というのがじつはあります。で、「国際交流って何なの」というか、どうしたらいいんだろうというのを、メキシコにいたときよりもさらに強く感じるようになって、やはりもうちょっと何か考えなければいけないといったときに、フェリスの国際交流研究科の存在を知りました。

 Y教授

 学部を出てすぐ大学院に来て、そしてそのまま論文を書くというのがこれまでの大学院のやり方でした。抽象的に書物の上での知識ばかり追ってきた、頭でっかちの先生方の片寄った習慣を受け継いだまま、そのまま大学院で勉強することになる。これはやっぱり問題があります。そこで大学院のプロジェクトを考えました時に、第一に、社会人として、あるいはお子さんを持った主婦として、社会生活を日常の中でなさった方が、そこで問題を見つけて大学院に来て何かしたいと、そういう場を作るべきだと考えました。

 Kさん

 私は、ごく普通の会社で経理を担当しております。
 この
大学院の科目等履修生になったきっかけは、会社と家を往復する毎日の中で、自分は職業人でもないし、家庭人でもないし、何なんだろうかというように考えているときに、たまたまフェリス女学院のほうで国際交流学部の大学院が夜に関内のほうで授業を開いているということを知りまして、そこに
参加しております。科目等履修生は、自分のいまの生活に非常に無理なく続けられる身分です。また、フェリスの授業というのはとても刺激的で楽しいです。

 Y教授

 大学院で教える教師も、たとえば社会人として経験を持ってきた学生とは、ある意味では同じレベルだということです。つまり、教師の側は「体系の知」は持っていますけど経験はないんです。社会人のほうは、「体系の知」には欠けているけど経験はたっぷり持っているんです。このお互いの違いを、同じ目線で一緒に討議していったらどんな修士論文が書けるだろうか、
それをお手伝いする。これが私たちの役目ではないかと思っております。

 M教授

 元気になること請け合いですので。とくに、見当がつかないで迷ってらっしゃる方は、科目等履修生がたいへんいい制度ですので、それをお試しになることをお勧めします。科目等履修生にまずなってみて、何をどういうふうにすれば、あるいは何を期待したらいいのかというようなことが見当がついて、そして修士課程に正式に応募されるというのは1 つの方法です。

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